お施餓鬼とは
施餓鬼の由来は「求苦焔口餓鬼陀羅尼経(ぐくえんくがきだらにきょう)」というお経にとかれています。
釈尊の十大弟子の阿難尊者(あなんそんじゃ)が修行をしていると、焔口餓鬼という口から火を吐く鬼があらわれ、「お前は三日以内に命をおとし、餓鬼道に堕ちるであろう」といいました。
阿難尊者は驚き、釈尊に何か逃れる方法はないでしょうかと尋ねると、「多くの餓鬼に飲食(おんじき)を施し、さらに三宝に供養するならば、その苦より逃れ天上界に生まれることができるであろう」と説かれ、無量の飲食供養の仕方である「加持飲食陀羅尼(かじおんじきだらに)」を教わり、その供養をすることで阿難尊者自らも餓鬼道に堕ちることなく、さらには多くの餓鬼も苦から救われたというものです。こうした事から施餓鬼会には、浄水とお米を三界のすべてのものに供え供養することによって、施しの心を養うことができるのです。餓鬼とは鬼のことではなく、あくなき貪りの心のために常に不平不満をいって過ごすものの姿です。自分のためなら何でも手に入れたいと思う貪りの心でいきる姿を餓鬼というのです。施餓鬼会において、自己中心的な心で生きる貪る自らのもつ餓鬼の姿を反省し、すべての生きとし生けるものに対して心から施しましょう。
この世の中は自分一人で生きて行く事は出来ません。他の人に対しても心を配り、自分のご縁のあるご先祖さま、有縁無縁の全てのものに対して施しの心を向けて、三界萬霊に飲食を供え供養する行いによって、心を養うことができるのです。この施餓鬼会は、「生命の源である浄水、お洗米をお供えする功徳が貪の心をなくして施すという慈悲愛なのです。」